自分を知る

”可愛そう”は失礼

こんにちは、吉兆美侑きっちょう みう@kicchomiu)です。^^

今日は”可愛そうって感じることって実は失礼なことだったんだ…。”っていう気づきをシェアしたいと思います。

これに気づいた時は頭を金槌で殴られるかのような衝撃でした(*_*)

その助けが愛だと勘違いしていた

うちには2匹の猫ちゃんずがいます。

保護猫カフェから譲り受けた子と野良で泣いていたところを拾った子。

(なんとも言えない顔 笑)

そのどちらも私が助けてあげたと思っていたんです。

この子たちは私がいなかったら生きていけないし、その助けは愛であると。

さらに外で生活している野良猫たちにもそう思っていて、可愛そうな命を無駄にしないように去勢してあげなくちゃと、ボランティア活動を始めようとしていました。

しかし色んなことに気づきをいただいていく中で、この考え方ってなんかおかしくない?と、疑問を抱えるようになっていきます。

頭のどこかでこんなことを思ってる私が出てきました。”

”私がやってることは褒められて当然のこと。”

”優しい人って思われたい。”

”助けてあげたんだから感謝してほしい。”

ちがうちがうちがう、そう思ってほしいわけじゃない。

私はただ、この子たちに安心して暮らしてほしいだけなのに。

あれ?それって私のエゴじゃん?

安心して暮らしたいって言った?

この子たちだって必死に生きてる。

苦しいことも楽しいことも死ぬことでさえもこの子たちが手に入れることができる経験なのに、可愛そうって思うことで私は奪おうとしてる。

そうしたいわけじゃない。

みんなには色んな経験を必要な分だけする権利がある。

じゃあ可愛そうって思う必要ないかも。

あぁ、可愛そうって失礼なのかも。

私が上で猫が下のような関係をつくってはじめて思える気持ち。

そう思いたいわけじゃない。

みんながすべて同じ位置にいるはず。

人だから偉くて、動物だから偉くないなんておかしい。

そうだ私、見下してた。

尊敬してなかったんだ。

可愛そうは尊敬できていないからでてくる気持ちなんだ。

この子たちが必死に生きていることを尊敬してみよう。

エゴは愛ではない

こんなかんじで私の中で生まれた可愛そうを手放していくことをしてみました。

どんな存在でも自らの人生の責任を果たそうとしています。

それを私のエゴで手を差し伸べることは愛ではないことを知りました。

うちに来てくれた2猫ちゃんも自らの人生を全うしようとしています。

それを助けてあげてるんだからと私の身勝手な考えで色んなものを奪おうとしていました。

さらにこの子たちが来てくれたことで私も助けられていることに気づきました。

”助けたいと思わせてくれたこと”

”心の中にあるエゴに気づかせてくれたこと”

”その子たちの幸せを願わせてくれたこと”

エゴを満たしたかった

どちらかが一方的にやってあげてる関係ってないんです。

助けてあげたと思っていたのは私の勘違いで、実は助けさせてもらっていたってことに気づきました。

助けさせてもらうことで私が得ていたものは先程伝えた、褒めてほしいや優しいって思われたい、ありがとうって言ってほしいなどといった、とってもエゴチックなことでした。

そんなことを抱えていたなんて全く思ってもみなかったので衝撃を受けたことを覚えています。

まとめ

愛だと思い込んでやっていたことはただのエゴで、本当の愛とは尊敬することだとこの子たちから学ぶことができました。

それは死ぬことに対しても愛をもって尊敬すること。

以前の私は誰かが死ぬことを認められていませんでした。

死は漠然と恐ろしいものだと感じていました。

そうじゃなかった。

それに気づかせてくれた2猫ちゃんず、ありがとう!

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ABOUT ME
吉兆美侑
吉兆美侑
ヒーラー・カウンセラー・整体師 心が変わると体が変わる!人生が変わる! 自らの失敗談から身を持って体験出来たことをたくさんの人にシェアする♡ そんな思いでサロンをつくっています。 自分を知ること、はじめてみない?
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